うつについて思うこと。
しゃべろうと思ったのだが、ケロログは重いわガレージバンドはつかえないわ、タグのつけかた忘れたわで情けないことこのうえないうちださんである。しかたないので本blog初登場のコビトさんから。
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どーもこびとです。いつもやぬしがおせわになっております。さいきんはみそしるつくってません。ひやじるでものみたいですね。ていうかへろってまでたばこすいたくないですね。まあへろっているうちがはなともいいますが。ここのやぬしのくすりはまだへりませんが、かえりはだいぶはやくなりました。でもげつようともくようのごぜんちゅうはへばってます。まえみたいにさけやくすりののみすぎでゆかにねるけいこうはないですねー。
さてうつなのですが、かんちがいいしないでいただきたい。うちのやぬしは「うつびょう」ではございません。いしゃもちがうといっています。でものんでるくすりはかなりうつのひとにちかいです。
んでもってケロログをまちながらこびとはだぶんをかきなぐっているわけですが、やぬしははじめてのつういんのさい、かうんせりんぐなるものをうけました。そこでのやりとり。
やぬし:「せんせい、わたしはうつですか?」
りんしょうしんりし:「うーん、ちがうとおもう。あなたはげんじょうをはあくしてるしもんだいてんもいちおうりかいしてるみたいだし、それにたいおうできていなくてつかれているだけなんじゃないかな」
ということで、やくぶつりょうほうをはじめて3ねんめになるやぬしなのでした。
いったんやぬしにかえします。
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うつの定義ってめんどくさくて、
ウィキペディア的の定義(だいたい網羅されてるのかな?)ではこんな感じです。
しかし、「その状態」をなんと定義するかは、さまざまだそうです。
たとえばこういう状態。アメリカと日本で多少異なります。いや、日本でも両方使っていますが。
投薬だけでなく、認知療法(たとえばここ)や内観法(こんな感じ)、いろいろな心理療法のアプローチもあります。
自分が心理療法に行かないのは、こうした心理療法の基本を知っているけど共感できない、という点でしょうか。
やったらはまるのかもしれないけれど、とりあえず夏休みをとっただけでも、だいぶ考え方が変わりました。
さて、ケロログのつかいかたを思い出せないので、コビトさんに返します。
---ケロログがうまくいかないようなので、メディアプレーヤーでもういちどコビトさんから。
ふたたびやぬしにかえします。
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結論として、自分のいまを正しく知ることはとても大切だ。
そのためには、一度過去や未来のぐずぐずしたことは忘れたほうがいいのかもしれない。
でも、昨日があって今日があって明日の自分がある、という考えももっていたほうがいいと思う。
そういう意味で、うつ病を克服した人の本はいくつか読んできたけれど、関心がないわけではない。
くりかえしになるが、薬に頼ってはいない。でも他に対策がない、いわば手どまり状態だ。
飲んでいる薬の作用や、自分のからだに現れる状態を見ながら、対応していくしかない。
治せる医者もいる、治せない患者もいる。その組み合わせが現状なのではないか。
うつの定義すら複雑なのだから。
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